KIJIMA TAKAYUKIのハットはなぜファッションに愛されるのか
2023.09.22
KIJIMA TAKAYUKI 木島隆幸

木島隆幸の帽子デザインのマジックとは

Edit&Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Photos by Yasuyuki Takaki

KIJIMA TAKAYUKI 木島隆幸

日本のハットブランド、KIJIMA TAKAYUKIがブランド設立10周年を迎えた。「一度被った者を虜にする」と多くの人が口を揃える帽子は決してデザイン的に派手な特徴があるわけではない。それでも誰かがその帽子を被っていると、思わずどのブランドなのか尋ねたくなる不思議な魅力がある。

そしてKIJIMA TAKAYUKIはファッションの世界から熱く寵愛を受けている。UNDERCOVERの髙橋盾、TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.の宮下貴裕、ARTS&SCIENCEのソニア・パーク、Mame Kurogouchiの黒河内真衣子といったこだわりの強いデザイナーやクリエイターたちからも厚く支持され、幾度もコラボレーションを展開。今回の10周年の際にはそれらのブランドとのコラボレーションも毎月連続でリリースされるという賑わいを見せているが、そこにもデザイナー同士の信頼の深さが垣間見られる。

KIJIMA TAKAYUKIの帽子はなぜファッションから愛されるのか。それを知るためにデザイナーの木島のいるアトリエを訪ねた。

MADE IN TOKYOのハットブランド

KIJIMA TAKAYUKI 木島隆幸

KIJIMA TAKAYUKIのアトリエは代官山にある。アトリエの上はショップ。KIJIMA TAKAYUKIのハットのうち、ハンドメイドのものは全てこのアトリエで作られている。実はこれはかなり珍しい。なぜならハット作りは専門的な職人を必要とするため、その多くが専門の工場に発注されて作られるのが通常だからだ。なおかつ木島隆幸は単なるデザイナーではなく、自身も職人のひとりとして、現在も帽子作りを続けている。

結論から言ってしまうと、KIJIMA TAKAYUKIの帽子が特別な魅力を放つのは、デザイナーと職人が木島隆幸という一人の中で完結しているという点が非常に大きい。

KIJIMA TAKAYUKI 木島隆幸

木島は帽子に関わり続けて33年経つ。5年間は日本のオートクチュールハットの先駆けである平田暁夫(1925〜2014)の元で修行し、帽子職人、帽子デザイナーとしての歩みを始めた。

「でも最初は全然帽子なんて興味なかったんですよ。ファッションの仕事はしたいと中高生の頃から考えていたのですが、好きなものがコロコロ変わる自分はファッションのデザインは出来ないと悟っていました。そんな時に見つけたのが、雑誌『anan』に載っていた平田暁夫先生の帽子教室の広告。アルバイトをしながら教室に通って1年が経ち、就職先もなくて困っていたら、ラッキーなことにアトリエに就職させてもらえたんです」

平田暁夫は皇室献上のオートクチュールハットから、COMME des GARÇONS、Yohji Yamamotoといった日本のデザイナーズブランドのコレクション用のハットまでも制作していた日本の帽子の第一人者。木島はそこで5年間修行し、帽子作りを徹底的に学んだ。

UNITED ARROWS 栗野宏文の一言で変わった運命

木島は修行後すぐに30歳で自らのブランドcouerを立ち上げるが、最初は全く売れなかったという。

帽子を作ることだけやってきたので、いざ独立してもどうやって売っていいのかすら分かりませんでした。当時は日本の帽子ブランド自体がなくて、セレクトショップに持って行っても、『日本の帽子ブランドなんて』と言われる始末。それで当時スーツをよく買いに行って、店頭で対応いただいていた方、それがUNITED ARROWSの栗野宏文さんだったのですが、どうしたら自分の帽子が売れるようになるか相談しに行ったんです」

現在UNITED ARROWSの上級顧問を務める栗野宏文は、ファッションに精通している重要人物として知られている。当時ひとりの客として通っていたUNITED ARROWSで、木島を担当する店員が栗野だったことは、日本の帽子文化の発展における貴重な偶然だ。

「栗野さんに作ったクラシックなハットやエレガント系の帽子を見せたら、『木島くん、この帽子が凄いのは分かる。でも僕はこれを被るシチュエーションがまったく思い浮かばない』と言われたんです。その時に金槌で頭をぶん殴られたような衝撃を受けました。『そうか、どんなに良い帽子を作っても、ファッションに合わなかったら何の意味もないんだ』と気付かされたんです」

ファッションにフィットする帽子

KIJIMA TAKAYUKI 木島隆幸

木島はそこから「帽子単体で考えるのではなく、ファッションにトータルでマッチする帽子」を作り始める。

「帽子って残念ながら、ファッションのスタイルの中では“あってもなくても成立するもの”なんです。出かける時に帽子を被るか被らないかはその人次第。今日のスタイルに合わないと思ったら置いていかれる存在です。“あった方がカッコいい”ものを作らないと被ってもらえないと思いました」

木島は新しい帽子を作る上で、帽子の利便性を問い直した。ハットは基本的に洗えないということ、それから帽子を被って外出した時に、脱いだら存在として邪魔になるという、自分が帽子を被る上で感じていたストレスを洗い出した。

そうして完成したのが「洗える帽子」と「折りたためる帽子」だった。木島は帽子の作り自体を見直し、「折りたたんでも型崩れしない帽子」も開発した。これは製造の段階から糊をあまり使用せず、極めて精密に、しかも柔らかく帽子を作るという高い技術に裏打ちされた技法だった。さらに木島は、木型を使わない布帛の帽子でも、独自の製法を編み出した。

KIJIMA TAKAYUKI 木島隆幸

「僕は洋服などのパターン作りの勉強はしたことがなかったのですが、洗っても大丈夫なパターンと縫製のやり方を試行錯誤して生み出しました。それを量産するには工場の力を借りることになるのですが、浅草橋の帽子工場何軒かにそれを持ち込んでも、『俺は職人だからそんな作り方は出来ない』と拒否されて、アパレルの縫製工場に相談したんです。『帽子は縫ったことないけど、やってみる』と言ってくれた工場と何度もやりとりを重ねて、そこから何十年もその工場に発注しています」

帽子工場で縫うか、アパレルの工場で縫うか、素人的には大きな差はないようにも聞こえるが、実はそこに大きな違いがあったと木島は言う。

「帽子工場が縫うと“帽子”になっちゃうのですが、アパレルの工場が縫うと“ファッション”になるんです。微妙なことなんですけど、それが違いに現れたと僕は思います」

こだわりの強いデザイナーたちとの共鳴

KIJIMA TAKAYUKI 木島隆幸

木島のファッションに寄り添った帽子作りは次第に評判になり、しばらくするとファッションブランドからコラボレーションが持ちかけられるようになる。最初に木島にコラボレーションを打診してきたのは、まだスタートしたばかりのUNDERCOVERの髙橋盾だった。

「ジョニオくんの最初の印象は、僕よりも5歳下というのもあるけど、本当にまだ若者で(笑)。UNDERCOVERのアトリエも中目黒にあった時代で、東京タワーでやった2回目のコレクションの時のハットを依頼されました。そこから現在までお付き合いが続いています」

KIJIMA TAKAYUKI 木島隆幸

その後はARTS&SCIENCEを始める前のソニア・パーク、そしてKIJIMA TAKAYUKI設立後はTAKAHIROMIYASHITATheSoloist.の宮下貴裕や、Mame Kurogouchiの黒河内真衣子らとのコラボレーションがスタートした。どのブランドも、どのデザイナーも非常にこだわりが強いことでも知られている。

「何でだろう? 僕が適当だからいいのかもしれないですよ(笑)。でも僕はファッションが好きだし、そのデザイナーが好きそうなことが何となく分かる。会話をしながら『こういうのがいいんじゃない?』って提案して、相手が喜んでくれる顔やレスポンスを想像するのが楽しいです。あと僕はデザイナーでもあるけど、職人でもあって、木型を使うもの、布帛を使うものなど幅広く提案できるのが良いのかもしれないですね」

日本の帽子ファッションは世界一

KIJIMA TAKAYUKI 木島隆幸

木島は帽子が選ばれるのは、「ほんの1秒か2秒の試着した瞬間にある」という持論を持っている。

「帽子って試着がしやすいじゃないですか。次から次へと被って、自分に似合うもの、フィットするものを探しますが、それって一瞬で決まるんです。僕が帽子をデザインする上で考えているのは、その一瞬で気に入ってもらえること。使っていくうちに馴染むことがその一瞬で伝わるように作っているんです

日本のハットブランドとしてKIJIMA TAKAYUKIの名は世界に広がりつつある。しかし、木島自身はまだ世界には届いていないと実感しているという。

「couerからKIJIMA TAKAYUKIにブランドを変えた理由の一つに、商標の問題があるんです。世界に向けて発信したい気持ちが高まったこともあって、自分の名前をブランド名にしました。僕は日本の帽子ファッションが世界一おしゃれだと思っているんです。ヨーロッパは帽子の歴史も長いので、むしろ階級やシチュエーションに対する固定観念が根強く残っているけど、日本は帽子文化がない分、本当に自由にファッションとして帽子を被っていると思います。日本から帽子ファッションを届けるために、まだまだやることはありますよ」

KIJIMA TAKAYUKI 木島隆幸

Profile
木島隆幸 | KIJIMA TAKAYUKI

1964年栃木県生まれ。日本のオートクチュールハットの第一人者である平田暁夫氏のアトリエに入社し、5年間帽子作りの修行を積む。30歳で独立しcouerを設立。couer を経て2013年にKIJIMA TAKAYUKIを設立。高い技術と独自の技法によって生み出される帽子は、ファッション関係者から高い評価を得て、コラボレーションも多数。
http://www.kijimatakayuki.com
https://www.instagram.com/kijimatakayuki_official/

(編集後記)
自分は帽子をあまり被らないが、人が被っている帽子は妙に気になる。それは「自分は帽子が似合わないけど被りたい」と思っているせいかもしれない。格好良く帽子を被っている人に「それはどこの帽子ですか?」と聞くと、「KIJIMA TAKAYUKIだよ」という回答をもらうことが増えていた。今回木島さんに話を聞いて、勝手に「KIJIMAマジック」と呼んでいた、KIJIMA TAKAYUKIの帽子作りの秘密が少し解き明かされたような気がする。(武井)